本来人間は自然を求め自分達のルーツ、物のルーツ、歴史・文化に触れたくなるのは、自然の摂理であると思うのです。
山・川・湖・海があり自然に恵まれていて、古くは縄文時代のすばらしい出土品にも触れる事も出来る若狭地方であります。
その神秘的なところに、新たな要素が加わったのであります。
それは「天孫降臨の原義」であります。出版された故友田先生が50数年という生涯を掛けて研究されたものでありました。その執念の一端を奥様から伺うことから、これは単なる学者が1冊の本を出版した事だけでなく、日本の宝物を見たような思いが致しました。
今迄の学説との違いを強く感じた内容は「結語」の中で、諸先学は「日本書紀」や「古事記」などを観念的に創作され神話として片づけられてきた。友田先生は、文化人類学を基調として、総合科学の検知から、縄文後期紀元前1122年に美浜町日向に降臨したと記されている。
近年古代の内容も随分変わってきています。
長崎県で12000年前の土器が発掘され、その後1999年4月に青森で16500年前の縄文土器が発掘されて、古代の時代の見直しが行われ、4500年も縄文時代が遡り、又縄文人は太平洋を越えミクロネシア、メラネシア、ポリネシア、最終的には南米大陸まで到達していた。
16000キロの海を渡る航海術を持っていた事、日本から6000キロ離れた南太平洋に5000年前に青森で作られた縄文土器が、確認されている。
6000年前に稲作を行っていた事も、青森県の三内丸山遺跡の発掘研究が進むにつれ、縄文時代の定説も、そのイメージも、急速に見直しているのにかかわらず、縄文後期3000年の前後の内容は、神話の世界である事は不自然とも思えてなりません。
「天孫降臨の原義」が、新たなる発見であります。友田先生の奥様、島田教授にも、今迄の説と異なる説を発表された事で、出雲に近い松江でもあり、関係者、また専門家から指摘される事がなかったのですかの質問に対して、奥様は「何も無く、友田は今迄の説を1つ1つ自らの足で歩いて実証していったように思います」と話された。天孫降臨は若狭の美浜町日向の説とするなら不思議に思いこと全部理解が出来、納得出来ると思うのであります。
故友田先生の執念、ご苦労を強く感じるとともに降臨の地として使命感を持ち、夢とロマンを追い求めることの出来ることにしあわせを感じております。
また日本の始まりは若狭である」説に共鳴いただければ、多くに方々と、降臨の地の宝さがしを行いたいと思っており、出会いを楽しみに待っています。 |