鶴田 利忠
「天孫降臨の原義」という本があります。著者の友田吉之助先生は島根大学教授、及び島根医科大学教授をされた方で、学位論文の「日本書記成立の研究」をはじめ、古代史について多くの論文を書いておられます。しかし先生は平成7年に亡くなられ、この「天孫降臨の原義」は御遺族が平成9年に出版されたものであります。
友田先生はこの「天孫降臨の原義」のなかで次のように述べておられるのです。
『現在の日本の学会においては、神話学者も、津田左右吉氏を始めとする文献史学者も、聡べて日本神話に記されている神々を、観念的に創作された虚構の神としており、この学説が現在の学界の定説となっております。
・・・・・・神代史に関する津田氏の学説を要約しますと神代に現れる神々は、6世紀頃に作為された虚構の神々である、とするのであります。すなわち神代の神々は、6世紀ごろに生活していた貴族(天皇の側近者)によって作為されたものとするのであります。考えてみますと、6世紀ごろに生活していた貴族によって作為されたということは、神代の神々は、6世紀ごろに生活していた貴族の神観を、反映したものとしているのであります。つまり、津田氏は遠近法的歴史観に基づいた反映説の立場に立って、神代の神を説明しているわけであります。・・・・・・
具体的な例えで申しますと、我々が真っすぐに敷かれた軌間106.7センチの鉄道線路の中央に立って前方を見るとき、遠方になるほど軌間は狭く見えますが、その場所に行って計ってみると、軌間が106.7センチであることには変わりはないのであり、視覚的認識の誤りであることが分かるのであります。してみると、視覚的認識が、そのまま妥当な認識とは言えないことは明らかであり、遠近法的歴史観に基づく反映法による歴史認識は、誤れる歴史認識と言わざるをえないのであります』さらに先生は『日本民族は日本列島に渡来する以前に、中国大陸の遼河下流域に住み、そこに倭国と称する小国家を建てて居たものと思われます。・・・・・・この倭人が遼河下流から朝鮮半島の咸鏡北道へ移動し、そこから日本海を渡り、福井県敦賀市に到着し、敦賀市と三方郡を国域とする原日本国を建てたものと思われます。
結論として友田先生は、次のように述べておられるのです。
(1) ニニギノ尊は実在の人物であった。
(2) ニニギノ尊が降臨した高千穂峰は、宮崎県の高千穂峰ではなく、真実は福井県三方郡にある梅丈岳であった。
(3) ニニギノ尊が降臨した時点は、縄文時代の後期にあたる、西暦前1122年であった。
さて、友田先生は「倭人が遼河の下流から朝鮮半島の咸鏡北道に移動し、そこから日本海を渡り、福井県敦賀市に到着し・・・・・・」と書いておられるのですが、では敦賀市のどの辺
りへ到着したのでしょうか。また原出雲国は福井県の三方郡と遠敷郡の一部である、とすればどのような形でそこ痕跡があるのでしょうか。そのことが今回の私のテーマであります。
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